崩壊:スターレイル(以下スタレ)v2.3 「さよならピノコニー」 が2024年6月19日に配信された。 筆者はしばらくネタバレを避けるため、意識的にSNSやYouTubeから距離を置いていた。そして、ようやく開拓クエスト(ストーリー)をクリアしたとき、胸を撫で下ろしたのを覚えている。

スタレは間違いなく、筆者がこれまでプレイしたゲームの中で最高のストーリー(特にピノコニー編)を持つ作品だった。ゲーム中に涙ぐむほどの感動を覚えたのも初めてだった。 それと同時に、hoyoverseらしいプレイヤーへの問いかけや課題提起、そしてメタバースへの伏線が強く感じられた(あくまで個人的な解釈だが)。

おそらく多くは筆者の妄想に過ぎないのだろう。 それでも、この物語を通して考えたことは、決して無意味ではない。 現実世界と仮想世界の在り方について、こうして整理し、言葉にすることで、何か新たな気づきを得られるかもしれない。

現在(2025年2月)、スタレはv3.0へと進み、新たな星「オンパロス」が実装されている。 だが、それをプレイする前に、まずはピノコニーという星に抱いた感情を整理しておきたい。

なお、本記事にはv2.3のネタバレを多く含む、というか、v2.3のプレイ後でないと全く意味がわからないと思われる。 まだ未プレイの方や、これからスタレを始める予定の方は、ここでブラウザバックを推奨する。





















ピノコニーのテーマ

ドリームプールは明らかにフルダイブVRのメタファーであり、夢境もメタバースを暗示している。 そして、それと対比する形で現実世界は監獄、刑罰、植民地などのネガティブな要素で埋め尽くされている。

夢境の中はまさに「宴の星」に相応しく、レトロフューチャーな世界観の中で、特に黄金の刻は絢爛豪華と表現するに相応しい。 ゆえに、作中でも夢境に止まり続けたいと考える人がいたり、現実世界とのギャップに悩んだり、現実世界から夢境に逃避してきたりする人もいる。

これはそのまま、我々の世界でのメタバースにも当てはまる。

メタバースでは現実の物理法則をはじめとする様々な制約から解放されるが、現実世界の束縛から完全に解き放たれるわけではない。 メタバースは、制約から解き放たれた人類の創造性を解放する場であることが好ましく、単に制約からの逃避先として扱うのであれば単にコンテンツとして消費されるだけの存在になってしまう。

現実世界からの逃避先 = 現実世界の代替手段、と捉えられるが、メタバースを代替手段にしたところで先述のように現実世界の束縛から完全に解き放たれるわけではないため、現実と仮想空間内のギャップに苦しみ続けることになる。 これは、真にその人の幸せにつながるのか、という問いを投げかけるものである。

ピノコニーのテーマは、現実世界とメタバースのギャップに悩む人々の姿を通じて、現実世界とメタバースの関係性について問いかけるものであると筆者は捉えている。

サンデーとロビンの対比

上記のメタバースの問いに対して、サンデーとロビンはそれぞれ異なる意見を持っている。

サンデーは、現実世界から逃避した上で、理想の世界を作り上げることを望んでいた。 一方ロビンは、現実世界と仮想世界の両方を受け入れ、その両方で生きることを望んでいた。

サンデーはそもそも人は自己価値と呼ばれる幻覚の中で生きていると考えており、その価値の奪い合いから抜け出したいと考える人々に対してピノコニーを提供し、それこそが彼の思い描く楽園であると考えていた。

ロビンは、夢の中で陶酔している人たちに対して、美しい夢には限界があり現実の苦痛を根本から断つことはできないと考えていた。

ロビンは花火から「夢の中で生きている人たちは、本当に苦しみから逃れて、本当の幸せを手にできているのかな?」と投げかけられたが、ロビンの中ではすでにその答えは出ていたのかもしれない。

サンデーからプレイヤーへの問いかけ

1つ目: 庭で見つけた親鳥に見捨てられた雛鳥に対し、クッションを雛のベッドにしてあげるか?それとも鳥籠を作って温かい家の中で可愛がるか?

2つ目: 家、土地、2人の子供さえも売ったという密航者が財を成した後に子供を買い戻し、ピノコニーの夢を共に楽しむ、という計画を聞き、 追跡を止めるようにハウンド家(ピノコニーでの警察機構)を説得し、生き延びさせるか? 沈黙を貫き、運命の審判が下されるのを待つか?

3つ目: 紛争地域で「調和」を広めて星の命を救うために前線に赴いたロビンは、救援物資の輸送を手伝おうとした時に流れ弾が首に直撃した。 ロビンが踏み出した「調和」の旅を応援するか?

これらの問いかけはゲーム内の開拓者にではなく、プレイヤーに向けられている。

hoyoverseはこの問いの回答を保存し、将来的に実現するメタバースの方向性に反映させることを考えているのかもしれない。

秩序

人間の意識がそもそも幻想であり、「自己価値」によって縛られている。それによって過ちを犯し、他人を傷つけることになる。 その結果が「適者生存」という自然法則であり、その「自然」は略奪と犠牲を伴う。 サンデーは、それに対するものが「秩序」であると論ずる。

全ての生き物が唯一の「秩序」のもとに置き、人間のための楽園を作り上げることがサンデーの理想である。 その一例が、スタレミームとして有名な「週休7日」の提案、永遠に続く日曜日。

働いているものであれば「週休7日」は魅力的に感じるだろう。 その代償はサンデー自身だけだろうか?

選択の余地がない「秩序」は、快楽だけを提供し、苦痛を排除することができる。 しかし、それは本当に「楽園」と呼べるのだろうか? 自由を失った人間は、果たして生きていると言えるのか?

生命体はなぜ眠るのか

それは、いつか夢から覚めるため。

ピノコニーの夢境は、美しく、心地よい。 しかし、それは現実を置き換えるものではなく、ただの夢に過ぎない。

制約から解き放たれた夢の中で、人は創造性を解放し、新たな価値を見出す。 だが、その価値は夢の中に留めておくものではなく、目覚めたあとにこそ活かされるべきものだ。

メタバースという夢の中で、私たちは何を得て、目覚めたときに何を残せるのだろうか。

...そして、これは単なるゲームの中だけの話ではない。 私自身もまた、一つのメタバースを去る時が来たのだから。